見えない自決

 自分は大学に入る前予備校で浪人生活を送っていた。予備校までは地下鉄で通っていたのだが、同じ車両に乗っている人が暗い顔をしながらスマホに夢中になっているのを見ていると世の中はつまらないなあとか考えたり将来への不安みたいなのがどんどん溢れてきたりして憂鬱な気持ちになるのである。周囲の人が暗いことを考えていたのかは分からないが、自分にとっては周囲の人が暗いことを考えていたように見えたので自分も自殺の方法や巨大地震によって電車ごと押しつぶされる光景などの妄想をしていたのを覚えている。それもあり今でも都市部の地下鉄は苦手である。途中から地下鉄の中で読書をするようになった。回りの人がスマホをいじる中で自分だけ書籍を読んでいることに対する優越感が生きる気力を養ってくれることはもちろん、周囲からの視線があるおかげで(見られてなかったかもしれないが)読書に集中できることもメリットであった。その中で印象に残っているのが岡本太郎が書いた『自分の中に毒を持て』『自分の運命に楯を突け』『自分の中に孤独を抱け』の三部作である。

 

 岡本太郎は1970年の大阪万博太陽の塔の建設を提案した人物であるが、自分はそのエピソードが大好きなのだ。当時、万博は開催に反対する人もいて(今も変わってない・・・)岡本太郎も万博の理念に対しては『人類の進歩と調和』というスローガンに対し懐疑的な見方を示していた。太郎は現代よりも縄文時代の人間の方が人間として生きていると考えていたため、むしろ進歩ではなく後退だと考えるほどであった。しかし太郎は万博のテーマに反する考え方を持っていながら万博の広場の設計に携わることになる。案の定ブーイングや太郎のスローガンである「自分を貫くこと」をやめて運営に屈っしたのではないかと失望するような声もあったが、そこでも太郎は自分を貫いていた。なんともともと予定されていた整然とした建造物の中央に天井をぶち破るような塔を建てることを提案し、その計画が本当に実現したのである。それが今の『太陽の塔』である。整っていて近代的な建造物の真ん中に時代にそぐわず呪術的にも見える塔が立っている光景は異様であっただろうし、万博が終わっても周囲の整った建造物は壊されても『太陽の塔』は住民の要望を受けて残されたのである。要するに太郎は万博の理念に反する考えを持っていたが、外野から反対をするのではなく反対の意思を示すためにその意思を万博内の建造物にこめたのである。現代は誰もが、また目立つ人ならなおさら匿名での批判、まして人格否定の対象になってしまうかもしれないような時代である。そう、まさに当時万博の開催を外野から批判していた人たちとそっくりなのである。だからこそ太郎が今生きていたのならどんな行動を起こすのかたまに気になるのである。

 

 三部作の話に戻るが、ここには面白いほどに自分に刺さる言葉がたくさん書かれている。なかでも僧侶に講演を行った時の発言である、

出逢うのは己自身なのです。自分自身に対面する。そうしたら、己を殺せ」

という言葉が好きだ。仏教の教えの中にある「道で仏に逢えば、仏を殺せ」という言葉を受けての太郎の発言であるが、これは今の自分に対する戒めとして120点レベルの優れた言葉だと思う。現在学校に行かず引きこもりがちな自分は大学に行くのを拒む自分と出会っているところである。そこでそんな自分を殺す。単純な話であり、またスケールは小さいがそれができるだけで自分にいろいろな可能性が生まれてくるのである。結局思想よりも行動である。

 

今日は久しぶりに岡本太郎を思い出して奮い立っていた。もう少し頑張ろうと思った。