自由と自己責任

 カンザキイオリさんの『自由に捕らわれる』という曲をご存知だろうか。『命に嫌われている』で有名なカンザキイオリさんだが、自分はこの曲の方が好きである。平等や格差の是正を唱えながら自由が求められる矛盾した世の中で「自由」に翻弄されながらそれでも生き抜こうとする青年期の人間の心情を描いた曲である。

 大学は「人生の夏休み」と言われることがある。実際周囲の人からもいろいろ自由にやることができるのは、大学生の時までだと言われる。正直課題に追われてそこまで自由な感覚も無かったのだが…確かに基本的に授業の無い長期休みも1年で約4ヶ月あり、やりたいことがあるなら全力でそれに打ち込めるかもしれない。そう考えれば一般的な人生の中で他の時期に比べて相対的に自由度が高いのは確かだろう。そしてそんな大学を卒業するためには自由の中を上手に泳ぎきらないといけない。卒業要件を達成できず留年を繰り返す様は、まさしく「自由に捕らわれる」ことである。何度も書いていることだが自分には自由を泳ぎきる自信が無い。何回授業をさぼれば気が済むのだろうか。自由と自己責任は表裏一体である。授業をさぼるのは自由だが、その責任は全て自分に降りかかってくる。責任に潰されるてもまたそれは自己責任である。明るい未来など全く見えない。

 

 こんな文がただの言い訳であることは分かっている、現状学期のスタートがうまくいっていないのは事実である。どうにかしなければ…留年である。