絶望しかない

起きたら13:20過ぎ、もう3限が始まっている。学校に行くのを諦め、スマホ見たりぼけーーーーっとしたりしたあと以前から読もうと思っていた『山月記』を読む。短編なのですぐ読み終わる。なんか思い当たる節がありすぎて心にずしっと来る。「尊大な羞恥心」や「臆病な自尊心」などのフレーズも刺さったが、李徴の自嘲癖が妙にリアルで自分と似たようなところを感じてしまうこともまた刺さる。自嘲は自分の欠点を他人に言われるのが怖いからそれを避けるために、あらかじめ自分で自分の欠点を白状する行為である。他人に欠点を言われる程度で傷つけられるほどの自尊心を持っていることの証明である。自分も相手に笑ってもらうために自嘲をすることが多々ある。それも初対面の人に対しても、である。ある程度気が知れた友達ならば、多少の自嘲は笑い話としてあるだろうが、初対面の相手に対して自嘲をしても相手から距離を置かれるだけである。確かに恐怖心は無くなるかもしれないが、話の節々に自嘲を入れられてはそんな人と話をしていても楽しくないだろう。ただ自嘲癖は直そうと思ってもなかなか直らないがまた癖者なのである。

自分はとある大学の人間であり、絶賛留年の危機である。あまり大学に行っておらず大学で生きていないのだから自分のことを「大学生」と形容するのは適切ではないだろう。今日4/8は前期の初日であった。3限だけ授業があったのだが寝坊してしまった。前日は27時に寝たのだからさすがに起きれると思っていたが、しっかり10時間夢の世界に行っていた。行かなければ行かないほど行きづらくなるのだから行かなければならないと何度も言い聞かせてきたが、学校に行くことを考えると気分が滅入ってしまうのだ。目立った嫌がらせを受けているわけではないが、なんか怖いのである。もっと学校に行くために自分の気持ちの機微をこれからもっと考えていかないといけないなと考えているところである。

理由も目標も無いけれど、とりあえず毎日なんかしらを書き残す予定である。以前ブログ的なものに挑戦した時は一週間ほどで続かなくなった。今回は何日続くのか。おそらく落ちの無い話が中心になると思うが、時間潰しとして、またその程度のものとして見て欲しい(←自嘲癖の片鱗である。(←こんなこと書くこと自体が自嘲癖の片鱗である))。