何者

 今日は比較的気持ちが安定していた。家の中で生きてることを恨んだ回数も少なめであった。しかし気持ちが安定しててもそれはそれでつまらないなと思ったりもする。生きるのを恨んで発狂する感覚や自転車でペダルをこぐたびにポンプみたいに涙が溢れてくるあの感覚が恋しかったりする。もはや悲壮感の奴隷である。これだから多分世界がユートピアを描いたSFのような世界になっても馴染むことを拒否すると思う。今の自分には生きる力は無いかもしれないが、生きることに抗いながら生きる力はあると思っている。現在大学のカウンセリングにはお世話になっているのだが、この正確ゆえ少し気持ち悪い感じがする。悩みを解消したいというよりもいかに絶望的かを分かってもらい労ってもらうところだけに焦点があるような。いかに自分が大変なことをしているかを示して他の人から「大変だねー」って言ってもらうためだけにやたらと単位を取る人間やいかに自分が頭良いか見せるために家の本棚の目立つところに学術書や洋書を並べる人間と同じである。まーどちらも思い当たる節があるんだけど。

 

 たまにこう文を書き連ねる自分を朝井リョウさんの『何者』の主人公と重ねることがある。その主人公もツイッターのいわゆる裏垢において、ひねくれた見方で身の回りのこと出来事や人を評価した文を「何者」というアカウント名で公開していた。最終的には就活や人間関係で苦労している様子が少し描かれて終わる。最後の方は説教臭い感じがあるが、新潮文庫の本を紹介する小さな冊子にも展開が衝撃的な本として紹介されていて自分のような刺さる人にはとことん刺さる。こんな稚拙な文を書き連ねて「自分は何者だ〜」みたいなことをやっている自分のことをたまに不安になる。

 

 衝撃的な展開の本でも書けたらいいのかな